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胸いっぱい星のすみか

2011.05.02 Mon
 藍坊主「星のすみか」、今日の一曲です>

 ちょっと距離感のある歌声が心地よいのです。弦楽器が耳に心地よい季節になっています。
 私は「耳で聴く快感」と「歌う快感」は別回路です。言葉が降り注ぐような歌に出会うと、心びしょ濡れの恍惚に堕ちるのですよ。どしゃ降りのなかで踊るような気持ちよさです。あくまでも「聴く」から味わえるのです。


 音源として宝物にしているような歌って、なかなか歌えません。一緒に口ずさむことなく聴く音楽です。
 

 私の大好きな『セーラー服と機関銃』は特別です、あの歌は女性(薬師丸ひろ子さん)と男性(来生たかおさん)の二種類ありますし。よく聴くのとよく歌うのが一緒というのは、本当にまれなのですよ。

 まあコンビニで好きな歌が流れてきてつい歌ってしまったということは、ありますけど。まあ、どうでもいいことですよね。



 今日は、どうでもいいことをぼそぼそと話しておきます。
 ちなみにこの部屋に今は三人います。ぼそぼそ。


   #

 GWに訪問の顔ぶれです。いつもの近しい間柄です。あちらの家から、こちらの家から。工場の人、物流徹夜徹夜あけのメンバーも、操業停止中の製作所スタッフも。仕事がらみのこともあって、休日だからと言って変えられぬ生活サイクルというのは十人十色。結局、一日中いつでも誰かが起きていて何かを話したり作ったりしています。こういう雰囲気って好きなんですよね、子供の頃から。姉貴(長女)はうるさがって嫌がってましたが、私はむしろ雑然とした騒音の中で自分の居場所を作り出すのが好きでした。得意とは違うかな、そもそも自分の居場所なんて勝手に作ってしまうわけですから。逆に、たったひとりっきりで孤立してしまうと、いたたまれなくなってしまいます。大広間で一人とか無理、自分専用の部屋『勉強部屋』とかも苦手です(そんな部屋なんて持ったことないですけど)。ちなみに兄貴(長男)は、『大勢の中の孤独よりも、ひとりきりの孤独のほうがいい』みたいなことをよく言います。なんでも、えーちゃん語録に、そのようなセリフがあるんだとか。共感したのでしょうね。私は大勢の中の孤独とか、群衆の中で感じてしまう孤立感に対しては、それほど嫌なものを感じません。喧騒の中で生まれ育ったからかもしれません。汚れた空気と喧騒を「自然」なものとして感じ取れる感性でいないと、きっと気がどうにかなってしまうからです。人間とは環境に適応しようとする動物なのではないかと思います。私は美しい静寂な一人きりの時間よりも、埃舞う町の喧騒のなかで佇む時間が好きなんでしょうね。前世占いで「ドブネズミ」と言われたことありますが、あのときも『なるほどぉ』と妙に納得したものです。嫌じゃないです。

 もちろん、「こんなの嫌だ」という拒絶だって、ある意味で「環境への対応として、その人が導き出した答え」なのでしょうからね。

 しかしそんな私にとって近くて遠い存在の兄貴姉貴の姿は、いま身近にありません。まぁ兄貴は仕事です。今年は必ず黒字をたたき出すと静かに語っていました、先月のこと。先行き不安いえ不安すらも感じ取れない闇雲崩壊の幕開けな二年前それも過ぎて見れは遠い時間。ええ。着実に兄貴は再建を果たしています。身内の私が言うのもあれですが、本当に強くて生きる気力を備えたひとというのは案外と静かなものです。私の実家の親戚筋の説得力ある「あいつはだめだろ」なんて評価、どっちがだめだったんだかって感じです。それに私は気安くなにかにつけて『革命』だの『維新』だのと言う人って、いまいちなんだかなのですよ。日常会話の中で、そんな劇的な言葉が出現したら注意してます。信念を貫きながらも周囲との議論を重ねていれば、おのずと変化は訪れるもの。そう思ってます。舞台は好きです演劇も好きです、でも政治や生活に『劇場』を持ち込まれると、いささか退いてしまう私なのです。でも人が革命を望み、維新を求めるのもまた真理なのでしょう。あるいは摂理でしょうか。いえ、ある種の生理現象かもしれませんね。実家の父親と兄貴を見ているとふとそんなことを思わずにいられませんが、親の存在なく存在できる子などいない真実を思えば、本当に巡り会わせやら対立の構図やらは、すべてが必然なのね。姉貴は今も心の宇宙で生き生きとしています。姉貴の意志は革命そのものでした。私とタイプは違うけど、忘れえぬ炎として、なおも煌々と私の内面宇宙で光を放っています。たとえるならば恒星だね、と姪(姉貴の娘)と今も語ることがあります。ちなみに姪と私は同級生です。私のほうが数日早い生まれ。
 うん。
 結局、誰が何を言おうとやり遂げる人は、やり遂げるのでしょう。でも、口先だけの達者加減もまた人としての魅力なのよね。どちらかだけでは彩りに欠けます。人の魅力と言うのは何かを超えたところにあるのかもしれません。つまり、どちらも大切。勢いのいい振り子です。あっちに行ったのなら、こっちにも。振り幅のぶんだけ、正反対へ。せめて、もう少し、「気持ち」だけでも、近寄れたらいいのにねって思うことはありますよ、たまにはね。だけど、激しく口論する親子親戚の群像劇は、私にとってはとても興味深くて愛おしくて勉強になるものなのです。だから衝突するのがわかっててもなお、一緒に過ごせる時間を持とうと思うわけなんですけどね。案外、あのひともあのかたも、同じように思っていたりするかもしれません。だって、なんだかんだで、集う機会を持ち続けていられるわけですから。

 だけど今はまだ感謝の言葉を伝えるよりも、おいしい料理でもてなして、笑顔になって欲しいなと思っています。おいしい料理は十人十色。そう。私のメニューは、相手次第で変わるもの。好き嫌いは良くないよって躾は、それぞれの家庭でどうぞなの。私のもてなしのひとときは、わがまま言って全然大丈夫。
 でもね。あんまり、わがまま言ってくる人、いないのよね。
 案外わがまま言っていいよなんて言うから、逆にわがまま言わなくなっているなんてこともあるのかしら。


 モチベーションをあげる「物の言いよう」については、まだまだ試行錯誤の毎日です。


 
 


   #

 録画しておいた「青のえくそしすと」、オープニングとエンディングだけ切り出してリピートしています。

 曲フルバージョンぢゃなくても、映像つきだとまたこれはこれで。


 ドブネズミみたいに美しいのなら。存在そのものが生き抜く強さであるのなら。たとえ誰かにとって害なる菌をもたらすものだと指摘されたとしても、それはそれ。写真に残せないものが多いほうが、毎日は充実しているんぢゃないかしらって思う私の意図するほうへ、私の思い描く方向へ。奇跡は宇宙だけぢゃないよ。
 
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