スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

魔女っ子は魔法少女の夢を見るか

 「魔法少女まどか☆マギカ」は見ました?


 (最終回含むネタばれなので以下)
 感想と言うより個人的連想反応です。
 私は録画で見てきました。



 「魔法少女」という言葉と、ひだまり風のキャラが違和感なく素敵に見えたので、21世紀がたの「CCさくら」みたいな感じかな、と思っていました。去年の暮れ、予告CMを見たときは。(とうぜんケロちゃんこみで)

 でも。

 これは違うな、と感じたのは、魔法少女が魔女を倒しているのを見たとき、なんですよね。

 魔女が悪いの?魔女を倒すのに魔法少女になるの。どうして?
 どう考えたって魔法少女は「大人」になったら魔女でしょうに。
 (そのため、もしや私の感覚が間違ってたのかとあせってしまい、「魔女」と「魔法少女」は違ったのか、とwikiや辞典を読みあさりました)


 だって、ねえ。
 それって「少女が女を倒す」ってことにしか聞こえませんでしたよ私には。
 18才になったとたん妹(中学生)たちに、おばさん呼ばわりされて迫害(内容は禁則事項)されるようなもんぢゃんかよ。と。
 『ぼくと契約して魔法少女になってよ、魔女を倒すんだ』なんて言われた日には、『なによそれ、いつか私が倒されるってことぢゃんかよ!』ってなるけどなあ。

 もっとも、子供が大人を敵視するっていうのは王道でしたね。大人を倒すとかブッタオスとか。なんのことはなくて、いずれ年を取れば誰もが大人になって、たとえ少年少女の心の持ち主でもオッサンおばはん呼ばわりされて毛嫌いされる可能性があるのと一緒。一緒ぢゃないか。でも子供と大人の関係は平穏で良好な雰囲気です、まどかの家庭で見ると。それに、最初から、まどかの家族、その構成きっちりと描かれていますね。個人的には、家族みんなが描き出される物語は、稀有な感じがしています。良い意味で。あえて家族を「見せない」演出も可能でしょうけど、家族が「隠されている」と、どうしても「存在の根源」も隠されている気がしてしまうんですよね。
 そんな個人的な思惑を背景にしながら見始めました。
 子供と大人が険悪な日常世界ではないのに、魔法少女が魔女を倒す結界世界って、かなり違和感がありました。


 『これ、物語書いてるのは男性だろうな』と強烈に感じました。良い意味で男性的だなと。
 なんていうか、性別不詳的な曖昧さが、ほとんどなかったです。
 だから第二話を見るときは、
 『見抜いてるよ。でも気づかないフリしててあげる』
 って言う気分でした。いい気分でした。だから裏切って欲しかった、「え。これ書いてるの女性?」みたいな。
 現時点では、原作者や脚本家の性別は私にはわかりません。後の楽しみにしています。




 男性が描く魔法少女も魔女も素敵ですが、女性が描く魔法少女のほうが無敵です。
 素敵には、大きな優しさがあり、無敵には残酷さの芯があるからです。ちなみに、「大きな優しさ」は憂鬱と直結していて、「残酷さの芯」は生命力の水源になっていると思っています。あくまでも個人的な意見なので、学術的な根拠は一切ございません。

 第一話を見たとき率直な感想は、「少年」で演じて欲しかった・・・というのが。。。すみません。だからって腐な妄想は慎みます。すなわち。あえて、見えるものを見て、聞こえるものを聞きます。それが私の「まどマギ」に対する接し方になったのでした。見えるものを見て、聞こえるものを聞く。すると、どうでしょう、アニメを見ているはずが、遠い昔に兄姉たちの部屋で盗み見た書物のページをめくっていた頃の記憶とダブってきたの。既に視たことがある、いえ、何かを見開いたときに空想した脳内映像。かつて、どこかで空想したであろう脳内映像世界とピタリ、波長が合った感じです。
 

 男性が描く少年を見たいっていう気持ちがあります、女性が描く少女を見たいように。魅惑的というより本質的なものとしてです。
 もっとも、それは精神的な要素の話。むしろ色気に関しては逆の場合が多いですし。さじ加減でしょうか。
 私にとって理想的なのは、男女によって生み出されたもの。来生えつこ・来生たかお姉弟の「作品」のように。
 要するに、私の個人的な感覚ですが、『内面』が出た時点で、性差が強烈に露呈されてしまうということです。そんな露呈を、そっと包み隠してくれたり、強烈さをやんわりとさせてくれるものが、「隣に女性のいる男性」や「彼氏のいる女性」だったりします。その「隣の存在」が、さりげに作品世界に現れている感じがすると、たいていイチコロです。私に限っての反応かもしれません。
 そういう意味で、私にとってイチコロ作品になれるかどうかは、「ひとみ」と「さやか」に掛かっていたというわけです。特に前半。お恥ずかしい限りですが。

 
 
 魔法少女が魔女を倒すんだよ、って世界だから、まあ、まどかもマミさんも『後輩』に倒されるのかな、と予測して、空想を楽しんだものです。なので第三話でしたっけ。マミさんのミマられ。あれを見たときはとても安心できましたよ、だって、魔女が「敵」としての魔女のままでの「戦闘」でしたから。本当に良かったですよ、知っている魔法少女が魔女になってしまってその魔女と戦って、というのでなくて。
 ちなみに私は、『最初に大人になった子が魔女になる』と想像してました。この場合、最初に彼氏ができた子、ですね。ひとみ(コクってきた彼氏)か、さやか(バイオリンと正式に彼氏)かな、と。全然違っちゃったなぁ。

 (バイオリンはヴァイオリンと表記したほうが良いのでしょうか)

 もっと強烈な吐き気をもよおすエピソードや救いようのない絶望に包まれる確率高そうって思ってました。思ってたいうより期待と言うか、砂糖菓子に毒を垂らすとか腐らせたものをご馳走するとかいうニュアンスのコミュニケーションへの展開を夢想してしまった、それは事実です。夢想を楽しめたのは第二話まででした。
 魔女が「敵」としての魔女のままの第三話は、とても救いがあって、優しさを感じました。その優しさは、男性に対して感じる優しさに似ています。なので、『その優しさは錯覚だよ』と言われれば、そうかしらね、という感じもします。第四話からは、優しくて温かなフラグばかり感じてしまうことになります。優しくて温かな、と言えば、まあ、「血」か「泥」ですけどね。
 きょうこちゃんリンゴかじってたしね。
 さやかに『くうかい』ってリンゴをあげた(投げた)あと、しかも『そのリンゴどうした』って、さやかに言われる始末は、エロスとタナトスの分岐点でしたね。分岐点なんだけど、表裏一体の関係と言うか。同じ一枚なのに表は裏を見れないのよね。でも、もう一枚別のコインがあれば、表が裏を見ることができるよね。つまり、世界は同時多発的に複数の時間軸で存在が成立していることを理解できたときに、「見れなかったもの」が見れるようになり、「聞けないはず」のものが聞けるようになるのですよ。
 だから転がるリンゴを見たとき、ああ、この世界は、いくつもある世界のなかのどれか一つにすぎないのかもしれないってことなのね、と。ふと思ったのを覚えています。
 
 

 もし。これが「魔法少年」ってことで、少年が大人と戦ってマミられだったら絶叫してたかもしれません。「少女」に対しての残虐性は身をもって慣れていますし、許容範囲が広いです。でも、「少年」に対しては慣れにくいものがあるのですよ。



 トラウマですか?あの程度で?というのが私の感想です。
 ああ、でも「少年」でやられたら、やばかったですね、それはまあなんというか、なんでですかね。
 とりあえずツイッターやブログでは、まどマギの話題はピンときませんでした。それに、もっと言うとネタばれ関係なく思いますよ。最初はインパクトの問題もあるでしょうけど、ネタばれしていようと、うわさや評判に惑わされたとしても、それはそれ。もっと言うと、初回から最終回まで見た上で、ふたたび見るときのほうが。無垢な幼い心で見るより、汚れてシャワーを浴びるのが日常化してる大人の心で見たほうが、楽しめるんぢゃないかなあ。と。
 ふと、そんなことも思ったり。




 第十話は、(結果として)個人的に最も好きなエピソードになりました。
 ふと連想したんですが、とてつもなく高度な技術があたりまえの世界でなら「製造された人造人間」だって感情もあるでしょうし、自分が機械だなんて思いもよらないでしょうし。ましてやクローンもしくはクローンに準ずる何かであれば。
 「神」のみぞ知る宇宙の真実は、人間には掌握しきれない性質のものではないかしら。私も、あなたも、アバターなんだとしたら、こちらからは見えていないというだけで、実は「向こう」はPC画面の中で私たちの動き回る様子も感情の起伏も手に取るように、つつぬけ。みたいな。




 良い意味で「感情移入」しないで済む「キャラ」と「世界」。


 それが「異性によって描かれた同性」と「規範軸のずれた異世界」であれば、なおのこと。童話は残酷であるほうが幼少期の心を豊かなものにしてくれるのよ。優しい童話で保育されてしまうと、文学のなかの日常のほうがトラウマ級です。
 そういう意味で、私にとって「まどマギ」は、「童話」ではなく「文学」です。もちろん比喩としてです。ですから、『童話だって文学じゃなくて?』と指摘されたら、ぐうのねも出ません。すみません、国語力には未だ欠乏してるんですよね私。ふぅ。



 あと、なぜ「まどか」なのかが、すんなり謎解きできました。やるね、ほむほむ。


 
 誰が主役かとか別にして、私がストーリーの中で追いかけていたキャラはバイオリンの天才くんと、たつやくんです。最終回で印象的なシーンも、ステージで「さやか?」って言うとこと、たつやくんの落書きのとこと。



 関係ないんですが、たつやくんとマユミーヌ?『まねきねこだっく』が脳内でヘビロテです。みんなのしあわせを~(まねきねこだっく♪)そんな歌が脳内で再生されていました。いまも書きながらヘビロテです。





 実際に歌ってみると、コネクトよりMagiaのほうが難しかったわ。全然。


 

 正確な情報や知識に基づいた感想などは、また別の機会に。まずは、自分自身の、どうしようもない個人的な思考回路の展開を言語化しておこうと。挿絵たっぷりで文字ぴっしりな小説が出たら購入して読む予定です。
 
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

涼宮麻菜

Author:涼宮麻菜
My name is ASANA.

OnLineGame"Yogurting"
ESTIVER,,,,
STARDUST☆MEMORY,

ASANA
エスティバー学園出身
同好会すたーだすと☆めもりー

あさな in よーぐる

Twitter...

asanasuzumiya < > Reload

月別アーカイブ

カテゴリ

ページの先頭へ戻る
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。