スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

学校の階段と、夏休みの宿題

 旧校舎
 なんだか微妙な時刻に目が覚めて、異様に気持ちがモヤモヤとしているみたいなので、
 いまの心の様子を記録してみることにしました。
 ほんとうに暇なかただけ、続きをどうぞ。
 (書いておきながらなんですが、開けないことをオススメしますょ)
 「南の階段ってさぁ、数えるたびに変わるんだょね~」
 「まっさかぁ」
 「うん。そう思った私も。最初はね」
 「じゃぁ数えてみよ?」

 夏休みのことでした。
 当番で花壇に水を撒きに行った夕暮れ、
 同級生の一人と私は校舎のなかに入りました。

 ぺた、と歩くたびに出る音。
 こんなにふだんは音しないよね、と心では思いつつ、
 とくに口には出さずに、ぺた、っ、ぺた、っ。

 

 階段、数えたと思うんですけど、
 なぜかいつも記憶に残ってないんですよね。
 
 5年生のとき、転校してきた子が、
 「前の学校に、数えるたびに数が変わる階段があったんだけど」
 と話し始めたときに、
 「あれ? そういう話、うちの学校にもあるよね?」
 「だよね。去年の夏、そんな話して数えたよね」
 「そうだっけ?」

 そのあと3人で、実際にその階段に行ったような気もするし、
 ただのおしゃべりだけだったような気もするし。
 
 すっごく、あいまいな。

 聞こえてるのか、空耳なのか、廊下の果ての向こうから、誰かの声。
 先生? 生徒? それとも違う誰か?
 
 「さっきさあ、廊下の奥に誰かいたよね?」
 「いたいた」
 「声は聞こえたけど見えなかったなぁ」
 「なんか、だまーって、じーっと、こっち見てたよね?」
 「誰かと話してるみたいだったけど、姿は見えなかったよね?」
 「えーっ。なんかこっち見てたよ。なんか言ったらこわそうだから黙ってたけど」
 「あのさ。戻って確認してみない?」
 「ぜったい、いや」
 「なんか、そろそろやばい時間でしょ?」
 「でも、誰だったか気になるよ~?」
 「忘れましょう、そんなひと」
 

 私には見えていませんでした。
 でも、その夏の日のことを思い出すと、
 なぜか、ぼやぁっと、
 あの学校の廊下の果てに人影が浮かんできます。
 記憶は「見えていなかった」ってなっているのに、
 思い出すと、なにかが浮かびあがる。
 
 「そういうのって、ない?」と、私は訊いてみました。
 実に会うのは数年ぶり。
 「あるかもねー」
 「あるよねー」
 「なんだろねー」
 「そうだよねー」
 たぶん、同じ時間を過ごしていても、
 覚えていることは、それぞれ違ったりするのでしょうね。
 
 「ねえ。いまから確認しに行こって言ったら、行く?」
 ひとりが言いました。

 行かないなあ。
 気になるのと、それとは別だもんねー。
 「だよね。私も。さすがに、学校には入りたくないなあ」
 「でもさ、もし」私は言ってみました、
 「もし、私たちみたいな『卒業生』がさ、ふらりとこんなことで校舎とか行ってさあ」
 「うん?」
 「ひそひそ話してるところを、廊下の向こうから、いまの子が見てたとしたら?」
 「うん」
 
 とりあえず門のところまで行ってみる?
 久しぶりかなぁ、それも悪くないよねー。
 選挙のとき以来だね~、
 って話しながら、ふと校門に近づいたときに見えたのが、
 「あれさ」ひとりが言いました、「きっと『今日の当番』の子たちだよね?」
 「だね」
 下駄箱のところに、3人の姿。
 「4年生・・・かなぁ?」
 「5年生でしょ?」
 「6年・・・は、当番ないんだったっけ?」
 
 あのくらいの子からだと、いまの私たちって、すっごい大人に見えるんじゃない?
 その瞬間でした。
 「こんにちは」と、女の子のひとりが私たちに言いました。
 「こんにちは」と、私たちも言います。
 ふたりの子は、軽く会釈だけしていきました。

 
 「あのときの私たちって」
 「あの夏のときのこと?」
 「うん」
 「あいさつ、したことないよね」
 大人に会っても、知らないひととは関わるなって教わっていたしね。
 話しかけられても無視しなさい、っていうのが「しつけ」でした。
 「だよね」
 「当然じゃない」
 「当然だけど」
 「うん?」
 「でも、むりして無視しなくてもよかったのかしらって」
 「どうして?」
 「だって、誰とも会わなかったじゃないのよ」
 「そうだっけ?」
 「いちおう、いたよ?・・・なんか、ぶきみだったけど」
 「いないいない。少なくとも、あいさつを交わせるほどの距離じゃなかったってば」


 なにかがコワかったのとは、ちょっと違う。
 おもしろいことがあったのとも、ちょっと違うし。

 でも、思い出して話していると、
 ちょっぴりコワくて、
 なんだかおもしろくて、
 ついでになんだか切なくなるのでした。

 じゃあね、と夏の夕暮れ。
 路地は暗く、空はまだ明るく、
 そのまままっすぐ帰る気にはなれずに、
 賑やかなスーパーに立ち寄ることにしました。
 
 お店のなかで流れていた音楽は、
 早口ではないけれど、
 聞き取れない言葉で。
 なんて歌ってるんだろう、と少し思ったけれど、
 それ以上は気になりませんでした。

 
 私には気にならない歌でも、
 もしかすると誰かにとっては、
 とても大切な歌になるのかもしれません。
 蛇口から流しっぱなしの水みたいに流れている音楽ですが、
 だからこそ出会える音楽もあったり、
 だからこそ少しづつ記憶に積もっていったりして、
 ふと気づいたときに、
 こんな夏の日を思い出す「きっかけ」の歌になっていたりするのかもしれません。
 

 そういうのも、悪くはないと思うんだけどなぁ。

 
 とりとめのないことを思い出していたら、
 ふと、波のように感情が、よみがえりました。
 『でもやっぱり夏休みの宿題って嫌いかも』

 あまやかすのと、休ませるのとは違う気がするのよね。
 しつけとか厳しくするのは賛成だけど、
 だからって「宿題」「課題」っていうのもどうなのかしらと。
 

 どうして私たちの世界は、こんなにも『やらなければいけない』ことが多いのでしょうか。
 でも、よくよく考えてみると、
 『本当に、どうにかしなくちゃいけないこと』が粗末にされていて、
 『やったほうがいいかもしれないけれど、やらないならやらなくてもいいこと』が、
 絶対にやりなさいっやらないとダメですって言われているようにも感じたものなんですけどね。
 
 いまだに、小学生の夏のなにげない記憶が、妙に鮮やかなままなのです。
 

 
 
 
 
 
 
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

涼宮麻菜

Author:涼宮麻菜
My name is ASANA.

OnLineGame"Yogurting"
ESTIVER,,,,
STARDUST☆MEMORY,

ASANA
エスティバー学園出身
同好会すたーだすと☆めもりー

あさな in よーぐる

Twitter...

asanasuzumiya < > Reload

月別アーカイブ

カテゴリ

ページの先頭へ戻る
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。